2016.11.06(Sun)
何の予備知識もなく観に行った。カヌーが川に流されるまでは、鳥を観察する映画なのかと思い、このままでは寝落ちするかと思いきや、全く予想のできない展開。絶対にこんな所には行きたくないと思いながらも翻弄され、連れて行かれる。とてつもないスケールの挑戦的な映画だった。なので、自分の頭の中で整理してから、感想を書こうと思ったのだが、結局まとまりそうもない。ツイッターの字数制限に捉われず、思うがままに書いてみようと思い、また、未見の方へのネタばれにならないよう、直接目に触れないよう、久しぶりにブログを開いた。
映画の後のQ&Aで、この映画は聖アントニオというポルトガルでは有名な聖人の伝説を基にした、宗教的なモチーフを扱った作品であると知った。その為に、特に宗教的な教育を受けていない監督は、聖書、美術の勉強をされたそうである。だが、舞台を現代に移した場合、神聖なことでもどこかごちゃまぜで雑多な感じがするのである。天狗のお面など東洋の文化が混ざったり、文明の利器が現れたりと、現代人が儀式や、狩りをすると、どこか「ごっこ」的な滑稽な感じがしてくるのである。そこが作り手の狙い通りのユーモラスな所である。
鳥類学者がフィールドワークに訪れた場所は、未開地ではなく、建物やトンネルなど人間が造ったものがあり、人間がいた痕跡が残っている場所である。だが、圧倒的に自然の力の方が大きい。人間目線で自然を見るのでなく、鳥の目からの視点が描かれていた。自然の中では、ヒトは一生物であると改めて感じさせられた。
二人の中国人娘の一人がなぜか半ズボン姿で足をむき出しにして森を歩くシーンでは、案の定、切り傷を作り、出血する。もう一人が傷口をなめる。赤い花、ナイフで少年を誤って刺し流れる血、血のついたスウェットを川で洗うシーン、傷口に指を入れ、乾いた血が指につくシーンなど、生きて流れている血の赤が、象徴的に描かれている。
自然の中では、同性愛も、裸も自然な描写である。特に他に誰もいないと、親密さが増す。だから、変に避けない所が良かった。それでも、意表を突く展開に度肝を抜かれたが…。
また、主人公が何度も携帯をチェックするがそもそも電波が届く所なのか、またしばらく充電切れにならずに使えるのが不思議だった。火をコーヒーで消したり、コーヒーを川に流すのも、いかにも都会の人がキャンプに来ているような風情で、後に遭遇するハプニングとの対比が面白い。
中国人娘に命を救ってもらったかと思えば亀甲縛りにされ、ヤギを放牧している少年にナイフが刺さりすぐ死んだり、上半身裸の女に銃で撃たれ死んだかと思いきや、腕に当たって生きていたり、鳥の仮装をして倒れていた男がヤギを放牧している少年の兄だったりと、主人公は死ぬか生還するか、どういう結末になるのかと思ったが、はたまた想像を超えるラストシーンであった。
聖書からの引用がこの作品を形作っているならば、ストーリーの流れは、巡礼、受難、聖人への変容と言えるのだが、監督も仰っていたように、西部劇のようにしたかった、冒険によって人間が変化してゆく様を描きたかったというメッセージが伝わった。人間は超越的なものに魅かれる。自然の中に一人でいるのは孤独を感じず、むしろわくわくするという監督ご自身の経験もベースにある。しかし、着想を一つの作品に仕上げるのは、決して容易ではない。脚本家、スタッフ、役者が素晴らしく、この傑作を創り上げた。この作品を上映する為に尽力された大寺さんにも感謝したい。大寺さんの強いお勧めツイートを見て行く気になった。幸い上映後に大寺さんの姿も拝見できて嬉しかった。(大寺さんを映画館で見るのは3回目。それぞれ違う場所。)衝撃を受けるとはまさにこのことで、観て本当に良かった。
>EntryTime at 2016/11/06 04:35<